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【エッセイ】字幕催眠術

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字幕催眠術

私の母も映画が好きだ。田舎で暮らしているので映画館にしょっちゅう足を運ぶわけではないが、テレビで放送されている映画はほとんど網羅している。若い頃に観たという作品もよく覚えていて、私が尋ねると嬉しそうな顔でその当時に思いを馳せながら答えてくれる。今まで観た作品で一番好きなのはソフィア・ローレンの『ひまわり』だそうだで、そんな洒落た母が好きだ。

ただ一つ、ここ数年の母の映画鑑賞の姿に衝撃を受けることが度々ある。母がよく映画を観るために選ぶチャンネルでは、ほとんどの海外映画は字幕で放送されている。そして親切なことに昔に比べて字幕のサイズは大きくなっていて、とても観やすい。母もそれをとても喜んでいて、「眼鏡を外したままでも鑑賞できるから本当に助かる」と言っていた。それなのにだ。彼女は作品の途中で必ずと言っていいほど寝る。後ろ姿ですぐに分かる。「起きている」人間のオーラが突然消え失せ、岩のようになる。だが驚きはその先にある。数日後に話を聞いていると、ちゃんと数日前に(途中まで)観たその作品の結末を知っているのだ。いびきまでかいていたのに!寝ながらにして脳で映画を観ているのか、しかし字幕なので音だけ聞こえていても理解できるのだろうか?謎が深すぎて爆笑である。

母曰く、「今までは小さな字幕を目で追いかけているから目が疲れて眠くなると思っていた。けれどこれで分かったのは、字幕の大きさは問題じゃなかったってこと。字幕は観る人を催眠術にかけてしまうのではないか。」ということらしい。「字幕による催眠術」実にユニークな発想である。

毎日テレビ欄で映画の放送をチェックし、どの映画を観るかワクワクしながら選ぶ母を横目に、父は「どうせ途中で寝るじゃないか!」と心の中で叫んでいる。母が例の「字幕催眠術」にかかった隙にチャンネルを変えると、「今いいところだったのに!」と怒られるらしい。だが父からすれば「今いいところならなぜ寝るんだ!」である。友人や恋人と映画を観るのに「字幕にするか吹き替えにするか」を決める場面で、いつもこの「字幕催眠術」を思い出す。私はまだその催眠術にかかったことはないが、いつか体験してみたいとこっそり夢みている。

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